べべ以外の子たちがレパートリー豊富な食事をしている傍らで
べべはみんなをうらやましそうに眺め
ときには盗み食いをはたらきお母さんに叱られた上、下痢や嘔吐に苦しんでいたね。
べべがもうどうにもならなくなったら、そんときは好きな物をなんでも食べさせてあげる。
今はまだだめ。
べべは胃が半分ないでしょう? 命を賭して何度も大手術したんでしょう?
うらやましいのはわかるけれど、がまんしてね。
ほぼ毎日言い聞かせてきた約束どおり、近頃は毒以外なんでも食べさせることにしました。
ときが迫って来たのです。いよいよ、どうにもならなくなったから。
なのにべべはあまり食べようとしません。
よだれを流しながらほしがっていたお肉もヨーグルトもチーズも。
「食べることは生きること」
そう言いつづけてきた私にとって、この現実こそたとえようのない悲しみです。
べべが宇宙上でもっとも好きです。
こうなってしまったからべべが惜しくて言っているのではありません。
べべが家族になってくれてから1日として欠かさず思いつづけてきたことです。
べべと私がまだお互いに若かった頃、私はそれまでの生活を捨て離婚を決意しました。
離婚前は物質的に恵まれていたけれど、べべ以外はぜんぶ要らなかった。
べべだけいてくれたら充分でした。
いわゆるバツ1だった私を支えてくれたのは、べべの存在。
私は会社のデスクにべべの写真を飾り、定時が近づくと胸が躍りました。
ワンルームでクマのぬいぐるみといっしょに私を待ってくれているべべを想像するだけで全身に痛みを感じました。べべに会えない時間は私にとって拷問に近かった気がします。
べべに出会ってから人生のなにもかもが変わりました。
実は、私のような人間にも命を慈しむ心がじゃっかん芽生えたのがいちばんの驚きです。
べべにぞっこんなのに、べべがいたからこそほかの犬猫たちに目が向くようになったなんて、矛盾する話だと思われるかもしれませんが、うまい説明文が浮かびません。
矛盾の中でべべにさびしさを植えつけたのも事実です。
でもそれが私の本心です。
昨日、クリーニング屋につき合ってもらいました。
耳が遠くなってきたから、お母さんの声、届くかな?
もし耳で聞こえないなら、心で聞いてほしいんだけど、べべいつもありがとうね。
クリーニング屋の前が子どものたまり場化し、べべの愛車を駐車できませんでした。
仕方なく端に入れてもらうことに。
べべは「かわいい」と言ってほしいのに、だれも近づいてくれませんでした。ちょっとガッカリ。
私は店の外でべべと洗い上がったワイシャツ類を待つことに。
さあ、帰ろ。重いからべべの車に載せてもらうね。
公園への寄り道。草や土を踏んでごらん。
いろんなにおいをかいでごらん。
べべも連れて入れるお店でべべの食べれそうなものをいくつか揃えて帰宅。
冷蔵庫や食品庫はべべの「食べれそうなもの」であふれかえっています。
べべが食べれなかったらムダを出さないようチチやほかのお子たちに与えています。
家に戻ったあと、鯛の入ったおじやを作ってみました。
ほんの数ヶ月前なら目の色を変え喜んでくれたでしょう。
けれどどこか自信がもてず、ミキサーで潰してみました。
これならどうかな? 一口だけでも、お願いべべ・・・・・・
お・・・・・・お皿舐めはじめた。興味があるようです。
ドキドキしながら見守ること3分。ゆっくりとですがべべ完食!!
べべすごいねえ。やるよね。
ちなみに食にうるさいリルはプイ^^;
リルが手をつけなかった分はタッパに戻して保存。もったいないもん。
最近のべべの変化にチチも苦しんでいます。今夜はべべを風に当たらせようという話になり、近所のスーパーまで行ってきました。
私が買い物をしている間、チチはべべを愛車から降ろし、少し歩かせてくれたようです。
ちなみに買ったのはこちら
消費が半端ない猫砂2袋。べべの飲めそうな犬用牛乳(結局飲んでくれなかった)。もも肉。
スーパーから出てきた私を、べべはよく見えない目で捉え、うれしそうにしっぽを振りました。
私はこれから起こることに耐えられないかもしれません。
べべが私の太陽です。
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