追記:ケージの中の福多朗は、めっちゃくちゃ甘えん坊で、撫でると顎を突き出し、「もっと!」をエンドレス(笑)。ゴロゴロ喉を鳴らしっぱなしなんですけど^^; 私たちの姿が見えないと泣いて呼びます。ごはんもペロッ。ホッ。
夜、福多朗を迎えに行ってきます。
こうして元気に食べてくれる姿が救いです。
もし万が一、また福多朗のような犬猫に出会ったら、私は次も同じことをするでしょう。
この腕に抱きあげ、病院へ駆け込む。病院でできる限りの処置をお願いする。
でも、実は私、全然「迷わない人間」ではないのです。
私と出会ったことが、この子にとって、本当によかったのか、とことん考えました。
もう保護してしまったのだから、考えてもしょうがないんだけど。
命ギリギリの境界線で私に出会った福多朗は、保護主の私のポリシーによって、生かされる方向へ向かったのです。それは福多朗の望むことだったのか? よくわかりません。
できれば足を残したかったけど、腐っていくばかりだったので、それも叶わず。
私はたまに誤解されますが、本音を話すと、決して長生きこそがすべてだとは思わないのです。犬猫のこともそうだし、自分のことも。
外で儚く散っていった子たちを目の当たりにする活動をつづけているので、私の中で「生」に対する執着はあります。保護された子は、生きたくても生きられな かった子たちの分も生きるべきだと。だから卒業生のご家族に、安全や最低限の健康管理をお願いするし、私自身も、うちのお子たちの健康や安全と真摯に向か い合っていかねばならないと感じています。
でも、私の考える長生きは、ただ生きていればいいのではありません。
「長生きしてね」
って書くのは、長生きの中に幸せを見出している時だけ。
不治の病を患い、ただただ痛く苦しい子を管で繋いでまで、あるいは人工呼吸器をつけてでも、永遠の命を授けたいとは思いません。その場合は、ひたすらQOLを追求するのみです。
だから福多朗のことも、悩みました。助かってほしいけれど、福多朗のこれからの人生が、辛く苦しいだけだとしたら、いやだと。今も、不自由な体にしてし まったことを、心の底から申し訳なく思います。治療上、他の選択肢はなかったけれど、命が助かったんだから、足がなくなってもいいやなどと、簡単に括れま せん。福多朗が失った足も、愛おしいです。
でも、ぐずぐず悩むのは、福多朗のためにならないので、あとで福多朗にきちんと謝り、精いっぱいケアすることを指きりします。外で生きなければならない子が、減りますように。
くどくどと失礼しました。
お詫びに、かわゆいみもたんの癒しショットをどうぞ♪
次回はステキなプレゼントをUPします。
一つ下にチチの書いた記事があるのでご覧くださいね。なかなかおもしろかったです↓↓↓
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