追記にも一応書きましたが、べべは今のところ大丈夫です。
ふと思ったのですが、保護猫ひかるはうちのナナに似ています。卒業猫福多朗はべべタイプ。犬猫にはそれぞれの特性があるのですね。
ひかるは奥ゆかしく警戒心が強く、なかなか裸になれない。自己表現が苦手で切ないほど不器用。時間をかけ半歩半歩近づいていくしかない存在です。
ひかると向かい合おうと模索していた頃、距離の詰め方が悩みでした。ひかるは気性の荒い猫ではありませんが、驚いたり不快な思いをすると本能的に攻撃に出ます。人間に撫でられるのが怖かったときは、ぱしっと手を出し私の動きを制止しようとしました。
言い方は不適切かもしれませんが、以前TVで観たストリートチルドレンに似ている気がします。親に捨てられてしまった、あるいは虐待されつづけてきた子ど もたちは、愛情いっぱいに育てられてきた子どもたちより人間不信で感情表現が苦手になりますよね。ひかるのような猫は、まさにそれに共通するのではないか と私は考えています。
まあ、猫と人間がイコールの関係で結ばれるのが正しいかわかりませんが、雰囲気は近いのではないでしょうか? いずれにせよ、子どもや犬猫が悪いのではなく、私たち大人や社会が彼らをそんな風にしてしまったというか。
大人同士の暴力沙汰やもめ事なら、堪忍袋の小さい私はハンムラビ法典に則ろうとします。目には目を歯には歯を、の世界ですね。基本的にはやられたらやり返 す。虚しいですがこういう手段を取ることが多いです。ここ、なおしたいけれど、やられっぱなしでは悔しいし、ガンジーの境地にはなかなかいたらない。
でも猫にはそれ、通用しません。
つまりひかるがパンチしてきても、私はパンチを返してはいけないのです。何度やられても、私は「非暴力」を自分の身で証明しなくてはいけません。ひかるに叩かれたことはありますが、私はひかるを叩きませんでした。
当たり前の話すぎてわざわざ書くことでもないんですけどね(笑)。
もし一度でも、ひかるに手をあげてしまったら、ひかるの全部を失うだけでなく、もう二度とひかるの心を手に入れることができなかったと思います。
私は絶対に殴らない。
私は絶対に怒らない。
常に一定のテンションを保つ。
「ひかる、おいで。だいじょうぶだから」
ひかるに伝えつづけました。
私には微塵の敵意もないってことを。
ただ、ひかると仲良くなりたいだけって。
幸せな生い立ちの猫なら着なくてよかった鎧を、ひかるは着るしかなかった。生きるために鎧をまとったひかるは、重苦しい世界の中で必死に喘いでいました。
凝り固まっていたでしょう。体も考えも。
「人間なんか信じられない」
「来るな来るな、ぼくのそばに近づくな」
出来上がってしまった性格を変えるのは非常に難しかったです。
だからこそ、私は一貫しました。
愛していることを、伝えたくて。
相手が人間なら、私にはできなかったんですけど、相手が猫だとやれちゃうんですよ。猫は不思議な魔力を持っていますね。
猫は暴力には従いません。殴る人間を信用する猫はいないのです。
もともと快活な子は萎縮してしまうし、人が苦手な子はますます人が憎くなる。結局のところ、暴力ではなにも解決しないんですよね。彼らはとても純粋だから。
慎重なひかるが私に心を開いてくれたのは、長い時間をかけ、私を無害だと認めてくれたから。ひかるが考え抜いた結果、私に預けてくれたその心と体は、かなりあたたかいです。
ひかるが最初から甘えん坊なら私もひかるも回り道をしなくてよかったし、苦労も少なかったでしょう。でもそうじゃなかったからこそ、大切なことを学べました。
心は伝わるんだってことを。
今、片思い中の皆さまも、いつか想いが成就するといいですね。ちなみに私は未だにあかり嬢に片思い中ですが、ひかるに使った方程式でいっちょがんばってみるつもりです。時間はかかるかもしれないけど、鍵は必ず開くと信じて。
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