昨夜、顔をドアにぶつけてしまいました。痛くて失神するかと思った。
目じゃなくてよかった。目がくぼんだ位置にあってよかった。
※閲覧注意画像出ます。
はあ……もう若くないから傷残りますね。傷跡だらけの人生ですよ。
その前の日は検査がやたら痛かったし。ああ、皆さまごめんなさい。愚痴を書いてしまった。ちなみに本日も仕事(涙)。バンドエイドを貼って乗り切る予定です。
ネガティブオーラたっぷりで申し訳ないですが、ショックなことがもうひとつ。溜めてばかりは身体に悪いので出します。読みたくない方はどうかスルーでお願いします。
夕方、お散歩へ出た高菜に「かわいそう」を連発した母子さん。お子さんも親御さんも高菜を見てかわいそうかわいそうと繰り返していました。お会いしたのはこれで2度目です。
お子さんが高菜にかわいそうを言うたび、「悦」の表情で激しく同意する親御さん。お子さんの言動に慈悲の心を感じ取っているのでしょうか? 情操教育の一環でしょうか?
けれどそれちがいますよ。正しくないです。
かわいそうですか?
老いた高菜がかわいそう?
それとも老いてなお、外に連れ出されてかわいそう?
かわいそう、に対して、なんて返せばいいのでしょう?
どう答えたらいいのでしょう?
私は無視して高菜と歩きつづけました。無性に悲しかった。
20メートル歩くのがやっとの高菜。目的地ポストまでの残りの180メートルは抱っこでした。
でもそういう全部を含めて私たちは「散歩」をたのしんでいます。
不自由ではありますが、高菜はかわいそうな犬ではないと思います。
検査の痛みより、傷の痛みより、高菜に浴びせられたしつこいほどの「かわいそう」が私は痛かった。むしゃくしゃした。うちの子になんてことを言うの? と。
犬だって言葉(言霊)がわかりますよ。
自分に向けられた視線がどういう種類のものか、人間より敏感ではないでしょうか?
まあ高菜は視力が落ちていますけど。
私の主観の域を出ないかもしれませんが、高菜は歩こうとしています。
一生けんめいな姿は、雄姿でこそあれ、同情の目を引くような憐れなものではないです。
高菜は犬として生まれてきました。
犬が犬として、さまざまなライフステージを経て「犬」をまっとうする生の本能は美しいですね。
高菜は「かわいい♡」
Smile!
ペットシッター「にくきゅうのおせわ屋」をはじめました
お留守番をがんばるかわいい家族が「お帰り!」と目を輝かせて出迎えてくれるよう、安心・安全に最優先で心を込めてお世話します。
足立区・荒川区・文京区を中心に活動してますが地域のご相談やお世話内容など、
⇒足立区のペットシッター にくきゅうのおせわ屋をご覧ください!