連日SNSで残酷な画像を目にします。
動物たちへの理不尽な実験、暴力、虐待、殺処分。
比ゆしがたいほど暗澹たる気持ちになります。
龍やキャッチやデカ円が同じ目に遭わされたらと想像するだけで身震いが止まりません。
言い換えれば、日々仰山の“龍”や“キャッチ”や“デカ円”が嬲り殺されているのですよね。
近年の私は己の身の丈をイヤというほど思い知りました。
小さな私には大それたことを言えません。
そもそも言う資格などないのです。
私の意志や理想とは無関係にたくさんの犬猫たちが虐げられている。
不気味な変態によって。あるいは営利目的の乾いた組織によって。
私ひとりになにができるというのでしょう?
私を含め、何万何十万という不幸に立ち向かえる人などいないはずです。
しかしヤラレたのが私の保護猫じゃなくてよかったとは思えません。
どの不幸を見聞しても胸がえぐれます。
その動物の恐怖や痛みや絶望を考えると人間でいることに辟易してしまう。
だからこそ私は自分の周りを見直す作業を怠らないよう心を配ることにしました。
私は絶対に「幸せ」を意識した譲渡に徹しようと何度も改めて誓うのです。
私と出会ってくれた犬猫たちと真正面から向き合い、手を抜くことをせず、石橋を叩こう、と。
多少時間がかかったとしても、その間にほんとうはもっとあまたの犬猫を保護できたとしても、私は割愛も省略も近道もせず、納得のいく譲渡をめざそうと。それが自分なりの「多くの不幸」や「不幸の塊」との対峙方法であり、結局はそうしかできないんだと知ったのです。
ほかの方のことはわかりません。だれのこともここで否定するつもりはありません。犬猫の問題に取り組む方は個々のポリシーを有し、各々に苦労を抱えているのです。
ただ私は、自分以外をじょうずに欺くことはできても、自分を騙すことができないタイプなので、自分をごまかし、ウソをついて生きていくよりも、自分の活動に自分が少なからずの満足とやりがいと自信をもって生きたいです。そのために私自身がどうするべきかを常に悩んでいます。
繰り返しますが、日本全体の数えきれない不幸にひとりぼっちで立ち向かえる人はいません。
数人の団体を組んでも無理です。
けれど身のまわりの犬猫たちを確実に幸せにすることはできます。だれにでもできます。
犬猫問題について意識しはじめた15年前、私は今より非力でした。
力が弱い割に声だけは大きく、日本全体をよくする夢想ばかり繰り返していました。
「日本をどうやって変えていこうか?」
そんなことをぼやきながらある日近所を歩いていると、かわいい盛りの子猫に出会ったわけですが、当時の私は「その子猫を保護し里子に出すだけの行為」に畏怖し、逃げました。
脳内は日本全体をどうやって変えようかと壮大な思案を繰り広げていたのにも関わらず、私は目の前の子猫を見捨てたのです。卑怯でした。みっともない自分を恥じ、いろんな言い訳を並べたりもしました。保護しなかった正当な理由を、です。
以後、あのときの苦味を味わいたくなかったので、出会った子たちを積極的に家に入れていくようになりました。とは言っても、キャパがあるので外で出会う犬猫たちを全部は飼えません。
あっという間に多頭飼育崩壊を迎え、犬猫ともども共倒れしてしまいます。
よって個人で「譲渡」を考えてきました。譲渡とはなにか、譲渡とはなにか、なにか。
譲渡を真剣に考えれば考えるほど、私は贖罪され、この世で起きるあらゆる不幸の中で呼吸できる気がしたのです。保護と譲渡は勇気とノウハウとわずかな知恵があればむずかしくありません。努力し掘り下げた先には犬猫たちと里親さんたちの笑顔があります。
偶然不幸に出くわしたとしても、幸福は必然と築けるのです。
日本に蔓延る悪に対抗する力はありません。
けれど私は無力ではありません。
私のような普通の人間は大勢います。
みんな無力じゃないんですよね。
まず、私たちの目の前にやってきてくれた犬猫たちに目を向け、彼らがにっこりする社会を創っていきたいですね。砂丘も目を凝らせばひと粒ずつの光る砂でできていますもの!
多くの犬猫たちが幸せになれますように。
LOVE!
ペットシッター「にくきゅうのおせわ屋」をはじめました
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