保護猫ウイは家族を求めています。お問い合わせ大歓迎です!
まだ2~3歳です! ピチピチよ♪
どうか目を留めてやってください。
保護猫ちびビーナスはだいぶゴロゴロ姫になってきました。
詳細は後日!
ウイの家族募集中ですが、今日は我が家で亡くなったゴンタについて書かせてください。ペットロス的要素を含んでいる上長いですが、ゴンタとの日々を思い出して書いたのです。
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我が家にやってきたゴンタは、すでに十三歳のおじいさんでした。
肝臓への転移も認められる血管肉腫(ガン)、心臓病、腎臓病、深刻な認知症……さまざまな病気にゴンタの体は蝕まれ、かつて元気だった頃より半分近く痩せてしまいました。
土手でゴンタは何度か倒れ、発見されるたびに病院へ搬送されましたが、どんどん消耗していったのです。
最後にゴンタが倒れたとき、間近で見守ってきた私は、十三歳になるゴンタをもう土手に返したくない、と思いました。
いろんな病気を抱えながら炎天下や極寒の中、繋がれ生きなければならないゴンタが不憫だったからです。うちでどうにかなる――。そんな気がしました。
ゴンタはもともと土手に捨てられた犬でした。
当時の土手にはたくさんの捨て犬がいたのです。私はホームレスさんに拾われ命を繋いだ犬たちのケアやサポートをボランティアで行っていました。定期的に犬 たちにフードや薬を支援し、不妊手術を受けさせ、彼らの生活の質(QOL)の向上をはかるのが私の活動内容でした。そしてホームレスさんの了承を得、里子 に出せそうな犬たちは新しい家族へ「命のバトン」を繋いできたのです。
ゴンタはさまざまな事情から、長く土手に留まらせた一頭でした。若いときのゴンタは快活な大型犬で、いつもニコニコ私たちボランティアを出迎えてくれたものです。
ゴンタはおやつのチーズが大好きでした。
繋がれた紐いっぱいに体を伸ばしチーズをねだるのです。手に握り締めたひと粒のチーズは、瞬く間にゴンタの口の中に消え、よだれを流しながら上目遣いでおかわりを催促するのがゴンタの得意技でした。
「よしよし! もうひとつあげよう」
暑さ、寒さ、孤独、紐に繋がれた逃げ場のない不自由さ、台風、雨、雷、蚊、火事、心ない人からの暴力や蔑み……土手の犬たちは逆境の中を生きていくしかありませんでした。
今日を生き残った犬だけが明日を迎えられるのです。途中で何頭もの犬たちが朽ち果て、亡くなっていきました。
その中でゴンタは十三年土手で暮らしたのです。
四肢を踏ん張り、ひたむきに。
私はこれ以上がんばらせたくありませんでした。長くてあと三ヶ月の命だと宣告されたゴンタに我が家でのんびり余生を送らせたかったのです。せめてもの償いのつもりでした。
しかし、ゴンタは余命宣告をはるかに更新し、二年二ヶ月、我が家で生きたのです。
実のところ、ゴンタが幸せだったかどうかは、私にはよくわかりません。
すでに認知症の症状が顕著だったゴンタとは意思の疎通に苦労しましたし、介護がうまくできた自信もないのです。とにかく試行錯誤の連続でした。
ゴンタは一日のほとんどを旋回運動に費やしました。
休みなく何時間でも回っていられるのです。我が家のリビングに設けた四畳程度のサークルの中でゴンタは回りつづけました。
散歩もまっすぐには歩けませんでした。
回るか曲がるか。
でも、力強いステップは若い頃のゴンタを彷彿とさせました。エネルギーの塊だったゴンタを。
ごはんは好ききらいなくなんでも食べてくれました。
薬がたくさん入ったごはんもペロッと平らげるのです。私は冷蔵庫の残り物野菜をつかい、ゴンタに「犬用おじや」を作るのが日課でした。トマトや刺身のツマもゴンタにはごちそうだったようです。ゴンタの食べているときの顔は今でも忘れません。
あの表情に救われ、介護を乗り切ったと言っても過言ではないでしょう。赤ん坊のように純粋で喜びに満ちた顔でした。
ゴンタは病気の影響で多飲多尿でした。
バケツ一杯分くらいの水をごくごくと飲んでしまうのです。当然、大量のおしっこが出ますが、食べているときと寝ているとき以外は旋回しているゴンタにオムツ暮らしは合いませんでした。
そのため私は朝から晩までサークルに敷き詰めた巨大なペットシーツを取り替えなければなりません。洗濯の回数も半端ではないのです。ゴンタの排泄の問題は、当時の私にはかなり深刻でした。自分の具合が悪いときなどは、本当に困ったものです。
二年間、ゴンタは休みなくサークル内を回りつづけました。
グルグルグルグル。
我が家の洗濯機も二年間回りつづけました。
グルグルグルグル。
ゴンタのグルグル生活は二年で幕を閉じました。
次第に足がもつれ転ぶようになり、そこからは坂道を転がり落ちるように一気に運動機能が低下していったのです。
ゴンタの肉体はゴンタの精神に逸れ、折り合いをつけられない弱り方をはじめました。いわゆる、「寝たきり生活」のはじまりです。
ゴンタが旋回運動を繰り返していた時分は、寝たきりになれば楽になると想像していました。ゴンタが歩きながら排泄物を踏みつけることがなくなるからです。
しかし介護の真の試練は寝たきりになってからでした。
体の不自由さを嘆いてゴンタが泣き叫ぶのです。
けたたましい声でほぼ一日中ずっと。
起き上がらせると少し黙ってくれることもありましたが、数秒後、また叫び声が部屋中を轟きます。地響きするほどの大きな声でした。我が家には他の動物たち もいますので、他の動物たちへの影響も心配でした。ゴンタ以外の者はみんな一丸となってゴンタの鳴き声を耐えるしかなかったのです。マンションの一室での 生活ゆえ、近隣への肩身の狭さも感じました。
私は精神的限界までその声を受け入れるしかありませんでした。
薬で強制的に寝かせている間だけが私の束の間の休息でした。次第に心の中をイライラが支配するようになり、私は一度だけ、イライラを醜い怒りに変え、ゴンタにぶつけてしまったのです。
あるとき突如私は、寝たきりで泣き叫ぶゴンタに向かい取り替えようと手に持っていた紙おむつを投げつけてしまいました。今でもそれが自分の中で、もっとも後悔しているできごとです。
毎日が闘いでした。いつまで闘えるかもわかりませんでした。
終盤、私は化粧や身なり……性別を忘れ、寝食を忘れ、ついには感情を表に出すことをも忘れてしまいたくなり、ただひたすらゴンタの介護だけをしました。一寸先すらも考える余裕がなかったのです。
思い返せば、薬で眠っているときのゴンタはよく寝言を言いながら手足をぱたつかせていました。土手の中を走りまわる夢でも見ていたのでしょうか?
繋がれっぱなしの十三年間もの間、叶うことのなかった夢。
自由への渇望――。
最期は、あっけないほど静かに旅立ったゴンタを私は少し恨みました。昼ごはんを食べたのに、その夜すっと眠るように逝ったのです。
我が家をさんざんかき乱し、私の心を乱したのに、ひとりだけ遠くへ行ってしまったからです。家の中は爆弾が落とされたあとの廃墟のようにむなしい場所になりました。
土手で生きた十三年、我が家での二年二ヶ月。
ゴンタの生涯、その存在は、鮮烈な色彩となって私の胸に残っています。亡くなってしばらく経ちますが、まだ消化しきることができません。
ただひとつ言えるのは、ゴンタに出会えて、お世話させてもらえた時間は私の宝物です。
あの苦悩も含めて、全部。
ゴンタの一生をまとめた記事はこちらにもあります。
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