野良猫を想像する


玄関ポーチの清掃をしすぎて満身創痍です。

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はい。同情に値しないですね。わかっています。

 

 

 

期限切れのパスポートをどうにかしないといけません。台湾のいとこの結婚式があるのです。

 

 

ぜったい参加したい。14年間、私は台湾に帰っていません。べべが1歳の頃に行ったっきり。

 

結婚式はもちろんのこと、ガンで亡くなったおじの墓参りや、アマー(祖母)にも会いたい。

 

犬猫と暮らして旅行は諦めました。しかし望郷の念がなくなったわけではありません。どういった形で留守をするのかが悩ましい限りですが、台湾の空気を吸いたいです。

 

 

そういえば30年以上前の台湾にはいたるところに物乞いをする方がいました。幼い時分は「ストリートチルドレン」を見かけたこともあります。現代の日本にはさすがにいませんよね?

 

 

法的には人間の子どもには「基本的人権」が担保されているので、そもそも次元がちがうのは承知していますが、ときどき私は頭の中で稚拙な比喩をするのです。

 

 

もしも晴れた日の昼に食べものを抱えたストリートチルドレンに出会ったら。

 

その子の顔色がよく、まんまるに太っていたら。

 

 

よかったよかっためでたし、と拍手を送れるでしょうか?

 

 

私は一歩先を想像できる人でありたいです。

 

 

極寒の暗い雨の夜も、食べものにありつけない日も、病めるときをも・・・・・・どうせならありとあらゆる姿を想像できる人でありたい。

 

 

自分がたまたま見かけた一端がその子の全部ではないかもしれない、と思うのです。

 

 

野良猫を「束縛を受けない自由で至福の生き物」だと断言する意見を耳にするたびに、「どうかなあ?」と首を傾げずにはいられません。私はだれかの考え方を否定したいのではなく、全貌を見据えたいのです。見えないかもしれないけど、見る努力をしたい。

 

 

もしかすると四肢たくましい犬猫たちにとって間仕切りのない世界は魅力的でしょう。2LDKの我が家では得られない景色やスポットもあるかな。

 

 

けれどだれも責任を取ってくれない環境は庇護を必要とする小さなボディには過酷だと思うのです。第一、犬猫は法律で「愛玩動物」に括られています。私たち人間がそう決めたのです。

 

ところで「愛玩動物」に家なき猫は含まれないのでしょうか?

 

 

「自然のままに」の「自然」とはどこからどこまでのことなのか?

 

 

そもそも車社会の大都会に「自然に生きる」選択肢が存在するのか?

 

 

私にはどうしても彼らがコンクリートの上で生ゴミを漁る姿が「自然」だとは思えないのです。

 

 

彼らはだれの目も気にせずに、好きに生きられるのでしょうか? 命の限り、延々と。

 

 

ほんとうに野良猫は幸せなのでしょうか?

 

 

それとも彼らにも勝手に生まれてきた「自己責任論」を当てはめるべきでしょうか?

 

 

いろんな選択肢があった中の「ホームレス生活」なのか、単に人のぬくもりを知る機会に恵まれなかったゆえの生きざまなのか。いったいどっちなんですかね?

 

 

愛を得られる人間と、愛を得られない人間がいるとしたら、それは「理不尽」です。

 

 

私たちの暮らしに深く密着している愛玩動物の犬猫たちも同じじゃないかな。

 

 

守ってくれる手が近くにある犬猫は満ち足りた顔をしています。少なくても私が出会ってきた犬猫たちはそうでした。見間違いじゃないと確信しています。

 

 

終の棲家を得られる犬猫が一頭でも多く増えることを祈って。

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※ 画像は海子改めもも家より♪

 

 

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