美音


その日はテンションをあげてはりきらなければならない日でした。

遠くからたくさんの友だちが母の店に食べに来てくれる約束になっていたのです。

母の店の近くで行われるボクシングの試合に出場する旧友がいて、私はその応援と打ち上げ宴会を予定していました。

朝、べべ、ナナ、リルの散歩を足早に済ませたら試合会場に向かわなければなりません。なのにそんな日に限って、ずっと会えなかった茶白猫を偶然見かけてしまったのです。

犬連れのまま近づく私。

後ずさりする茶白猫。

よく見ると顔が傷だらけ。

なにも持っていないし時間もなかったのでどうすることもできず、私はその場を去りました。

試合スタート
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試合に出た友人の奥さん。毎度明るく場を盛り上げてくれます。
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結局、友人は負けてしまったのですが予定は変わりません。

「祝勝会」が「残念会」または「お疲れ会」になるだけです。母や妹はすでに店で宴会の仕込みをしながら友人たちの来店を待っている状態でした。

イエーイ!
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まだ3時ですが、みんなお腹がペコペコ。
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子どもを入れて、20人以上の人人人!
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チチ、妹婿のたかも一緒です。チチは美女たちとお話できてうれしかったそう(笑)。そしてお決まりの泥酔コース。最後はもちろん、記憶も飛んだみたいです。

友人の中にはプロボクサーもいました。
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みんな学生時代からのつき合いで仲良し。
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閑古鳥が鳴いていた母の店も活気づいて母、上機嫌!
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私も開始から30分は高テンションを保つよう強く意識したのですが……
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次第に心がざわめくのを自覚。

まず精神的に友人たちと距離を置き、カウンターに座ってウーロン茶片手にひとりの世界に浸りはじめました。まずい傾向です。こうなると自制が利きません。

そして“うわのそら”がはじまります。

話しかけられても「あ、それは妹に聞いて」、「ごめん今ちょっと頭が痛いの」などとそっけなく返す始末。本当に自己嫌悪がしました。みんな母の料理を楽しみに遠くから来ているのに。

どうして私ってこうなんでしょう?

要領が悪すぎる。

気になってしまうと、気持ちの切り替えができないのです。

頭の中が傷だらけの茶白猫に支配され身動きが取れない。

現実は宴会に縛られ身動きが取れない。

大げさだと思われるかもしれませんが、頭と体がバラバラになっていくような感覚でした。そのうち、息が詰まって呼吸まで荒くなったところでもう、ギブアップです。

だれにもひと言もなにも告げずに店を立ち去りました。

友人たちを放置したまま。

703号室に戻り、せっせと捕獲箱を準備。

今、自分がしたいことをする。

後悔のないように。

わがままですが私はそうやって生きるしかないようです。

頭の中はもう、保護の方法でいっぱいでした。

朝見かけた場所にまだいるのか?

どうやったら連れて帰れるか?

家の中に飛び込んだ私は、近寄ってくるお子たちをふりはらい、一目散にフードの置いてある部屋へ。猫の一番好きそうなごはんを急いで手に取り、倉庫から捕獲箱を出してセット。

手の震えを感じました。

ひとつの命の「一生」が、自分の行動によって左右される瞬間だから。

はじめはいつもの場所(のりまきたちを保護した場所)に仕掛けました。日ごろの付き合いがあるので、ここの住民さんだけは捕獲箱の設置を認めてくれます。
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でも茶白猫を見かけたのはここじゃない。

近いけど、ここじゃないことが気になりました。

セット後、いったん店に戻り10分間なにごともなかったように振る舞い、また現地に。

猫は入っていませんでした。

もう店に戻るのも面倒なので、捕獲箱付近で時間をつぶすことに。

30分、40分、50分……

ついに猫が餌やり宅に姿を現しました!!

でも、私の捕獲箱からは数十メートル離れています。

不衛生で無責任な餌やり宅の老人が置いた餌を食べています。

実は私、捕獲箱を仕掛けたとき、老人宅に置きっぱの餌をあらかじめ回収していたのです。

見てください。皿の中、空でしょ? 私がこっそり捨てたんです。
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なのに目を放した隙に、いつの間に足してありました。

たっぷりね。

絶体絶命!

腹が減らなきゃ猫は危険を冒しません。

満腹状態なのに、好奇心だけで捕獲箱に近づく猫はいない。

もう、警察を呼ばれてもしょうがない勢いで、狭い敷地内に入って行くしかありませんでした。実際、変質者だと思われ警察に逮捕されてもいいと思っていました。
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話し合いで済む問題ならとっくの昔に折り合いをつけています。餌やりさんと私の価値観が多少ずれているのは仕方ないですし、必要に迫られればその手の話し合いは慣れているほうだと自負しています。

でもうまく説明できないのですが、ここの住民はその次元をはるかに超えています。変わっているだけでなく、第一、だれの話も聞きません。保健所の生活衛生 課職員たちすら一蹴します。さびしい老人が餌やりを楽しみに生きていると100歩譲って思いたいのですが、ここに書ききれないほどいろんな問題のある方な ので私も真っ向から向き合う術をとっくに放棄しました。

皿ごと隠して捕獲箱を敷地内にセット!
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心臓がバクバクします。

一方で不思議とあきらめ(諦め、明らめ)の境地にも到達したような心の安らぎを感じました。

5m離れた電柱のかげに隠れ、手を合わせながら静かに待つこと10分? 20分?

バシャン!!

朝から聞きたかった美音が轟きました。

潔い大きな一音。

何度も何度も頭の中を反芻していた音。

捕獲箱が閉まった!!

ごめんね。怖かったかい?
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住民に見つかる前に早く退散しよう。

顔も耳も傷だらけ
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目の横にも傷があるのですが、本猫が気にして掻くので、膿む前に保護できてよかったです。

こうして私は、ウイと縁を持つことができました。

約1時間半、宴会途中で姿をくらました女は、捕獲箱を自宅に運んだあと、なにくわぬ顔でのこのこと店に戻りました。さすがに微塵の罪悪感を感じましたので、一杯引っかけたい欲求を堪え、数名のお友だちを車で送って差し上げました。みんなこれに懲りずにまた来てね。

次こそ楽しく飲みたいです^^

「飲むと言えば、豆さま、お母さんモヒート作りました。ミント入れすぎて若干苦味が出たらしいけど、おいしいおいしいと喜んでいます。おれにはくれなかったけど」
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※(追記)プライバシーに配慮して写真を加工、縮小しました。

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