家族募集中の保護猫サクはときどき、ほほに面倒を見てもらいに床に降り、下手なグルーミングの施術を受けるのです。ふっ。サク、毛がボサボサに^^;
だれとでも絡みたがるサクの性格はおもしろいですね。サービス精神旺盛というか。
ほほ、サクと仲よくしてくれてありがとう。スタイリストほほによるセット、なかなか斬新~!
先日私はべべ公と散歩へ行きました。べべと外へ行くとき、iPhoneを持っていくこともあれば、あえて持っていかないことも。この前は持っていたので写真が撮れたのです。
あごをちょこんとのせ、景色を眺めるのがべべ流
お花がきれいだね
公園に着いて静かなデートをはじめました。
ヨタヨタとべべのスピードで歩いています。じょうずじょうず~♪
しばらくすると、横だったか背後だったか・・・・・・不意に声をかけられたのです。
ハッ
驚く私。声をかけられるまで、私はべべ公の姿しか眼中になくて、べべ公以外のいっさいを遮断していたことに自分で気づきました。
見ると小さな女の子がニコニコ笑いながらべべの横に立っています。
女の子「かわいいですね」
私「ありがとう」
女の子「わたし犬が好きなんです。うちのおじいちゃんちにも9歳の●●ちゃんがいます。さわってもいいですか?」
私「さわってくれるの? ありがとう」
なれた手つきでべべ公の頭をゴシゴシ撫でる女の子
お見せできないのが残念なほど、やさしい表情でべべ公を両手に包んでくれました。
長い時間、延々と・・・・・・
べべ公は終始得意げで、たまに私のほうを向き、「ドヤ顔」を決めてきます。
私はべべ公に「うんうん」頷いて返しました。
よかったね。よかったね。いい時間を過ごさせてもらえているね。素敵な女の子だね。
その後も女の子と少し話をして、女の子は元気よく習い事へ向かいました。
ガリガリのべべ公の体をひるまずに、なんの色眼鏡もつけずに愛おしそうに撫でてくれたことに心からありがとうを送りたいです。女の子のこれからの人生が幸せいっぱいでありますように。
以前べべ公はお母さんと出掛けた先で、子どもたちにスルーされたことがありました。
べべ公はかわいいって言ってもらいたかったのですが、叶わず(笑)。かわりにお母さんがたくさん誉めたのを昨日のことのようにおぼえています。でも正確な日づけはいつだったか・・・・・・
そのときのブログ記事を読み返そうと探したところ、なんと1年前の今日の記事だったんです。
「きみこそが/幸せの703号室」 2016年6月23日
あの頃べべ公は食欲が激しく減退。嘔吐下痢を繰り返し、みるみるやつれていきました。
そのあと、東大病院で精密検査を受けさせ、画像に写った腫瘍(胃がん)の大きさに閉口。けれどべべ公はまだ闘える気がして、シリンジ食へ切り替えたのです。食欲が低いとしても、消化できるうちは無理のない範囲で食べさせようと。じゃないとべべ公が衰弱死してしまうから。
当時の私はまちがいなく、1年後にこうして同じようなことをブログに書けるとは夢にも想像していませんでした。だからどこにどう恩返しをすべきかわからないほど、私は今、感謝の気持ちを持てあましています。べべ公だけでなく、ナナ、リル、ほほ、あまた、さぶ、たいせつな家族とともに暮らせる今日という日が私にはもったいないほどだと思っています。
昨夜のべべ公
未だ自力で立って歩いています。
休業しイクメンを宣言したチチと
べべ公のごはんはチチがあげています。私とは喧嘩ばかりですが、犬猫たちにとっては面倒見のいいお父さんです。長年チチにはチチの社会人という世界があり、私には私の犬猫保護譲渡活動の世界があり、それぞれがお互いの世界の中で生きてきました。
責任を伴う仕事や活動の場に於いて、私たちはべべ、ナナ、リル、ほほ、あまた、さぶを置き去りにせざる得ない日も多かったです。しかしもう、完全に向き合うべきときが来ています。
生活は大丈夫ですのでご心配なく。
主婦としてのストレスもじゃっかんあるけれど(笑)、総じて身にあまるぜいたくな日々を、楽しく生きています。理想を持って、多少の欲をかきながら。
LOVE!
ペットシッター「にくきゅうのおせわ屋」をはじめました
お留守番をがんばるかわいい家族が「お帰り!」と目を輝かせて出迎えてくれるよう、安心・安全に最優先で心を込めてお世話します。
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べべちゃんの得意顔、私も見たかったなぁ・・・
私の亡くなった母はたいへん美しい人でした。
幼少の頃から天使のように愛らしく誰からも可愛がられ
成長してからも光輝かんばかりの美貌だったようです。
私が一緒に過ごした年月も常に正統派の美女、
道ですれ違う人たちが思わず振り返って見つめるほどでした。
そしてそれは60才を過ぎても変わりませんでした。
しかし亡くなる前の2年は長い闘病生活で毛髪を無くし
瘦せ細り老いさらばらえて誰も振り返ってくれなくなった。
母にとっては生まれて初めてで最後の悲しい経験でした。
そして枯れた花がポトリと落ちるように逝きました。
美しさを鼻にかけるような傲慢な人ではなかったけれど
やはり最後まで美しくありたかったんだと思います。
母のことを思い出す度に「お母さん、お母さんは最後まで
とってもきれいだったよ」と心の中で話しかけます。
それを口に出して言ってあげなかったことが悔やまれる。
べべちゃん、お世辞でなく今でも本当に可愛く愛らしい。
つぶらでいつも濡れたような大きな瞳、まるで童女のよう。
公園の女の子の澄んだ眼にもそう見えたのでしょう。
その女の子は神様のお使いだったかも知れませんね。
「べべちゃん、まだまだ可愛いよ」
「ハハさんもよく頑張ってるね」というメッセージ。
もしかしたらウチの亡母の生まれ変わり?だったのかも、
(ちょうどそのくらいの年頃です)と勝手に想像しています。
べべちゃんに可愛いってどうしても伝えたかったんだ、って。
そしてそう思うことでほんの少し救われている自分がいます。
ハハさん、お子さんたちの介護と看護お疲れさまです。
お子さんたち、本当によく頑張っていますよねぇ。
愚痴ひとつ言わない泣き言ひとつ言わないのが素晴らしい!
胃ガンと戦うべべちゃんも水頭症と戦うほほさんも
さぶにぃもあまぱんもナナちゃんもリルちゃんもすごい!
辛くて嫌いな仕事を限界まで続けられたチチさんもエライ!
きっとお子さんたちが心の疲労を癒してくれると思いますよ。
703号室の静かで幸せな日々が1日でも長く続きますように。
”Everything is more beautiful because we’re doomed.
You will never be lovelier than you are now.
We will never be here again.”
「終わりがあるからこそ美しい。『今』は二度とない」
—(映画『トロイ』のアキレスの台詞)
ハハさんもチチさんもどうぞくれぐれもご自愛くださいね。
長くなって恐縮です。私文書です。どうぞお読み捨てください。
scoutさま
繰り返し何度も拝読しました。ありがとうございます。
お母さま、とても美しい方だったんですね。
ずっとずっと美しかったのですから最後まで美しくありたいですよね。
大して美しくない私でも、同じ女性として人間として、お母さまの心のさびしさや思いがなんとなくわかる気が(勝手に)しています。
うちのべべもずっとかわいかったのでかわいいと言われてきたので
かわいいと言われたかったのかなと思います。「かわいい」という言葉の意味は実はどうでもよくてとにかく見てほしかった、注目してもらいたい、関心を寄せてもらいたい、べべはそういう心を持っていると思います。若いときからずっと構ってちゃんだったので(笑)。
だからあの女の子が来てくれたときはべべが本当にうれしそうでした。それを見ている私もうれしかったです。
べべもナナもリルもほほもあまぱんもさぶも毎日毎日がんばっています。
その姿に私は励まされています。
かわいいってすばらしいことですね。