「ああ……なんなんだよ。今は勘弁してよ」
2007年8月、先代かつが亡くなる3日前に私の保護猫2匹の里親になった方から一方的になすりつけられた保護依頼されたへんてこ顔の黒猫の赤ちゃん。
かつは当時虫の息で、終盤は自宅内に設置した酸素室の中に入れても呼吸が苦しそうでした。
FIPウエット末期の肺水腫。
重すぎる病魔と闘うかつを私は全力で看取らなければならない頃だったのです。
イヤイヤ引き受けた子猫を連れ帰りケージに入れてみると、子猫は自力では立てず、寝た姿勢のまま水下痢をケージ内にぶちまけました。
病院では、年単位どころか数ヶ月もたないだろうと余命宣告され、私はますますウンザリしました。死を含めた「命」の重さと対峙する気力が完全に消えそうなほど萎えていたのです。
子猫は保護される前、外をひとりぼっちで彷徨っていたとのこと。
立ち上がることもできなかったあの姿でいったいどこをどう彷徨っていたのでしょう?
母猫もきょうだいらしき子猫も近くにいなかったそうです。
母猫が現れたら、母猫に子猫を返そうと、その場でしばらく母猫を待っていたと聞かされました。
本物のジャングルも人口のジャングルも大差ありません。
人間の庇護の及ばない範囲で生きる犬猫たちは強くなければいけないのです。弱い遺伝子は淘汰されてしまうのが掟ですから。
なのにどうして保護されるまでの間を、生き延びることができたのでしょう?
出会う前の「ほほ史」は私にとって最大の謎です。
さまざまな仮説をたててみたのですが、真相を知ることはないしどれもピンと来ないので、そのうち私は「宇宙からアンテナをつけて地上に降ってきた」と妄想することにしました。
黒猫ベイビーの名は「ほほ」です。漢字にすると「歩歩」。
頭部に溜まった水を少しでも抜こうと、小さい頃は利尿剤を投与していました。
でも、トイレばかり近くなる姿が不憫になり、先生と相談して思い切って薬を切ることに。
薬を切っても、ほほは7年以上元気なままでした。
私はほほをほかの猫と同じように育てました。理由は、ほほがそう望んだから。
運動機能が低いので自分の体に多少の不自由を感じていたはずですが、ほほはなんでもやってみせました。一見脆くみえますが実はたくましくスクスクと育ってみせたのです。
ほほを家族として迎えてから、気がつけばはや7年半。
ほほは今なお現役でさまざまなことにトライしながら生きています。
最近は運動機能がさらに下がり、一時は立ち上がることもできなくなりましたが、長いブランクをへて再び投薬を開始したので、現在は薬の効能に期待を寄せています。
ほほの近況動画です。ほほは転んでも転んでも立ち上がろうとします。
※ここ数日は投薬のおかげでふらつきや転倒がこの動画より改善されています。
私はほほに数え切れないほど学ばせてもらいました。
ほほを一語にたとえるなら……やっぱり「歩歩」かなあ?
(写真:プロカメラマン上村さん)
ほほや、明日も奇跡を見せてくれるかい?
生きていてくれてありがとう。
ペットシッター「にくきゅうのおせわ屋」をはじめました
お留守番をがんばるかわいい家族が「お帰り!」と目を輝かせて出迎えてくれるよう、安心・安全に最優先で心を込めてお世話します。
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