好きの定義


犬や猫が捨てられて、保健所へ送られたり、野良猫になってしまったり、そこから生まれ増えてしまった挙句、理不尽な死を迎える現状は、いったい誰が作り出しているか考えてみたことはありますか?
私は、ご存知の通り犬猫の保護活動をしています。色々学びながら今の現状に挑み続け、自分にできることを細々と繰り返しています。私の主観に過ぎないのか もしれませんが、犬猫の不遇な現状を作っているのは、「犬猫嫌い」の方ではないと思うことが多々あります。実は、保護活動する私たちから見たら、犬猫嫌い の方は扱いづらくはありません。

私の周りにも犬や猫が嫌いと言う方が多く居ます。
嫌いな方はまず飼わないし、触らないし、犬猫とかけ離れた人生を送っています。私は犬猫が好きで、彼らの命は人間と同様だと思っていますので、その部分で話が合うとは思えませんが、それでも、一種の潔さを感じることがあります。
勿論、嫌いにも種類があって、虐待したり、役所や保健所に要らぬ(笑)大げさな苦情電話をガンガンかけたり、そういう人間は見ていてうんざりしますし言語 道断ですが、いわゆる一般的な「犬猫嫌い」は別になんてことありません。お互い無視で済みます(笑)。考え方がそれぞれ違うのは当然だし、嫌いな人に無理 やり犬猫を飼ってもらいたいとは思いませんから。

でも、厄介なのが、まずこのタイプ

「私、犬大好きなのよ、生き物なら何でも好き。本当よ。だからこの犬を拾って飼ってやったんだけど、この度、息子夫婦と同居になっちゃって、小さい孫がうちに住むことになったのよ!どう考えても犬は飼えないでしょ?ねえ、そうでしょ?だから泣く泣く手放すのよ。保健所しかないでしょ?孫が小さいんだから・・・。私も迷ったわ。でもねぇ・・・」

それからこれ。

「犬も猫も大好き。小さいときからずっと一緒に暮らしているの。それでこの犬も買ったんだけど、でも、結婚することになって、彼、犬嫌いだし、将来子供と か産んだら飼えなくなるし、引っ越すかもしれないから友達の友達のその従兄弟にあげたの。あげた時は、3日位涙が止まらなくて本当に悲しかった。悲しくて 仕方なかった。
あげた人がどんな人か?……知らない。多分良い人でしょ?誰ももらってくれなかったら捨て犬にしちゃうところだったから本当に良かった!幸せになってね!って何度も話しかけたの。私って犬が大好きだから!」

これはどうでしょう・・・。

「あたしは、猫が大好き。小さいとき実家に15匹いたんだ。どんどん生まれてね。子猫は可愛いよ。今は年金暮らし。アパートで飼えないから猫達にエサ、 やってるんだけど。 そこらじゅうで糞するからあたしが近所に怒られる。まったく、猫はどうしょうもない生き物だね。人の庭で糞するなって言っても聞かな いから!不妊手術?そんな金ないし、第一可哀想で出来ないよ。だってそうだろ?可哀想だろ?最初は2匹だけだったんだよ。こんなに小さいのが・・・。で も、あっという間に30匹超えちゃったから、最近は金がなくてエサもあまりあげてないよ。可哀相に。でもあたしにも生活があるしね。まあ、大きくなるまで エサをあげたんだから、感謝して欲しいくらいだよ。あ、そうそう、又その辺で生まれたから見に行ってごらん!小さいのがうじゃうじゃいるよ。可愛いね~。 あたしは猫が大好きだから、ああいうのを見るとつい、抱きあげちゃうんだよね」

私がこの5年で関わってきた、犬猫が大好きと自信を持って言い放った面々の話を簡単に抜粋してみたのですが、いかがですか?

今の日本を汚しているのは、犬猫が嫌いな人間ではなくて、自称犬猫大好き人間。
好きの定義。
その犬の、あるいは猫の全てに責任を持ち、愛を持ち、永く共に生きる。
そして、寿命の限り懸命に生き抜いた犬を、猫を抱きしめて、温かな死に場所を与える。
それが好き、愛するということ。
それ以外には有り得ない、そう思うのですが。

様々な考えが交錯する日本で、私は言い続けます。
いつだって、犠牲になるのは犬と猫。
人間ではありません。

元凶は、愚かな自分にさえ気づかない人間のこと。

よく我慢したよね。


本当に偉いね。

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