猫たちの家族募集中ですが、どうしても書きたいことがあります。保護猫プップ、千吉、あかりについては下の記事をお読みください。
~1頭のママ犬~
10年前の話。
私は団地の一室で乱繁殖の末、多頭飼育崩壊となったヨークシャーテリアたちのレスキューに関わりました。その数30頭超。
狭い家の中に体の大きなヨーキーたち……臭い、音、衛生状態……現場はとにかくすさまじかったです。飼い主は乱繁殖したヨーキーを知人に売りさばいたりもしていたそうです。よくわかりませんが、一応「ブリーダー崩壊」になるんですかね?
レスキューと言っても、当時はネットが今ほど普及していません。
「個人宅の預かりさん」の浸透が薄かったので、レスキューされた犬たちを一カ所に置く方法しか思いつきませんでした。
そこで私は、ある獣医が使っていない建物を借りることに。安くはしてもらいましたが、有償だったと記憶しています。
いわゆる、暫定的なシェルターの完成ですね。
場所を確保できたことで、犬たちを一気に保護することができました。
いろんな人がヨーキーたちの保護に関わりました。その中で私はいわば下っ端の位置。保護活動の先輩方の邪魔にならぬよう気を配りながら、自分にできることをこなす日々。
当時の私は賃貸物件に住みながらフルタイムで働いていました。10頭以上の土手犬たちのお世話もありました。でも、自分で言うのもおかしいですが、素直というか精力的で。
ヨーキーたちのシェルターを借りる交渉の他、散歩や食事の世話、ケージの掃除などの雑務が私の担当でした。私は「ヨーキー日誌」をつけ、開示し、彼らの個体識別や体調管理を他のボランティアさんに読んでもらえるよう工夫しました。
30頭の犬たちの中でもっとも印象的だったのが【ママ】。
2頭の子犬を育てている最中に保護されたことから、みんなにママと呼ばれる犬がいました。保護後もかいがいしく子犬たちの面倒を見ていたママ。自分の食事や睡眠は後まわしでいつも子犬の世話をばかり。
他の子たちがキレイにトリミングされていく中、子育てが一段落するまでシャンプーはしない方がいいと言われていたので、ママは保護当時の汚れたまま。
伸び放題の毛、めちゃくちゃに絡んだ毛玉、体から放たれる悪臭……でも、子を胸に抱く母の姿は美しかったです。
「ママの子犬たち、スクスク育ってるね。ママのおかげだよありがと。ママも幸せになれるといいねえ」
私はお世話に向かうたび、ママに話しかけました。
他の子たちにも、たくさん話しかけました。
彼らは人間の言葉を理解していないのです。
今までずっと、話しかけてもらえなかったから。
慢性的な栄養不足で食事は丸呑み、トイレのしつけもできていないし、お散歩も下手です。恐怖で外を歩けない子がほとんどでした。
でも、心は通じると信じました。実際、通じました。
そんなある日、チチがママを散歩中に大ケガさせてしまったのです。
ごくたまに保護ヨーキーたちの散歩を引き受けてくれていたチチですが、不注意でママがケガをしてしまい……。
包帯もまめに替えなきゃならないし、夜、無人になってしまうシェルターに置いておくのが心配で、悩んだ末ママを家に連れて帰ることに。
下っ端の私なりのけじめの取り方だったのかもしれません。
反対する人はいませんでした。
ママを家に連れて帰るってことは、当然、2頭の子犬たちも連れて帰らないといけないし……加えて、ママには仲のよかった【ママ友】という友だち犬もいたので、その子も……?
えええい! どうにでもなれ!
こうなったらママも子犬たちもママ友も一緒だ!
今はママのケガを治すことと子犬たちが無事に育つことが先決だから、賃貸フルタイム勤務の我が家でもなんとかがんばろう!
こうして、未シャンプーのママ、子犬たち、ママ友の計4頭がシェルターを出て、我が家に移動することになりました。
でも、保護犬ママは幸せになれなかったのです。
なぜならまた、繁殖犬として生きることになったから。
そして私のママをめぐる執念深い闘いがはじまりました。
長くなってしまったので、いったん切ります。
昔のママの写真を探しましたが見つかりませんでした。かわりにママが産んだ子犬たちの写真(画像悪くてごめんなさい)を載せます。ちなみにママにくっついて我が家にやってきた「ママ友」は運良くいい家族と出会い、「さくら」と名づけられ幸せに暮らしています。
ママが育んだ子犬たち
どこかで幸せに暮らしていると信じたいです。
ペットシッター「にくきゅうのおせわ屋」をはじめました
お留守番をがんばるかわいい家族が「お帰り!」と目を輝かせて出迎えてくれるよう、安心・安全に最優先で心を込めてお世話します。
足立区・荒川区・文京区を中心に活動してますが地域のご相談やお世話内容など、
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