土手から保護したときに一生分の怒りを爆発させたナナ
時効だから告白しますが、土手にいた頃も我が家にやってきた最初の頃も
ナナには制御不能のキレやすさがありました。
けれど、「家族」と「安らぎ」を知り膿を出し切ったナナは
性格を完全に入れ替えたのです。
若いときはいっさいのわがままを言わず
キッチンにも一度も入ったことのないナナ
寝る際も控えめで体が触れると私の邪魔にならぬようほかの場所にそっと移動していたナナ
年を取り完全にキャラクターが変わりました。
キッチンに侵入しまくり
ドスンと私の上に乗っかかり体重をかける。重い。なかなかどかない。
朝も晩も早く散歩へ連れて行けと吠えまくる。
しかしだからこそ余計にかわいい。
いい子のナナも好きだったけど、いい子を卒業したナナはもっと好きです。
いっしょには暮らしていなかったけど、私はナナの子犬時代を知っています。
7頭きょうだいの中でいちばん警戒心が強く、いつ会っても萎縮していました。
子犬らしい時期を過ごせず、長い虐待を生き延び、我が家に来てくれました。
そのナナが14歳で子犬にかえったのです。
いや、子犬にかえったのではなく、はじめて子犬になったのだと思います。
ナナには今、軽く認知症の兆候が見られます。
けれど私は、ナナを哀れな老犬としてみていません。
改めて見渡すと、我が家にはたくさんの悲しみが転がっています。
べべの曲がった背骨が悲しい。浮き出た肋骨が悲しい。
散歩に行ってもあまり歩けないのが悲しい。
あまたの咳が悲しい。食いしん坊だったのに食べると口を痛がるのが悲しい。
さぶが点滴の際に泣くのが悲しい。さぶの首に針を刺すのが悲しい。
ころんでばかりのほほが、薬をむせるほほが。
排泄ごときの自然現象にもいちいち歯を食いしばる姿が悲しい。
【※食事中の方、不快になった方はほんとうにごめんなさい】
みんなの老いも病も代わってやれない自分が悲しい。
いつまでこの家族形態でいられるのか・・・・・・。
あまりにも失いたくなくて、ついまともに考えるのを放棄したくなる。
恐ろしいし、どうせ気持ちのやり場がない。だからなるべく考えない。
「前向きに」とか「明るく」という言葉には限界がある気がします。
少なくても、近ごろの703号室にいると、私はときどきふと悲観的に思いつめる。
けれど先日、朝日に向かって床の上を這うほほを見て自分の心境が少し変化しました。
朝ごはんを食べ終わったほほが日光を浴びるために、懸命に掃きだし窓をめざしていたのです。必死なほほを目の当たりにして、私はほほに「生」を感じました。
私が嘆くことをうちのお子たちは望んでいない。
彼らは穏やかな朝と昼と夜と
撫でてくれる手と、誉めてくれる声と
ごはんを楽しみにし、太陽を待っているだけです。
痩せたべべも、咳をするあまたも、治療をいやがるさぶも、認知症の兆候のあるナナも、不自由なほほも、わがままなリルも(笑)、みーんなシンプル。
なら私のほうも、みんなに従わないと。
民主主義の世界は、多数決が基本ですので。
悲しい悲しい言ってばかりでみっともなくてすみません。今週はもう愚痴りません。
お詫びにハンサムボーイをお見せします。
もういっちょ!
Smile
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