書こう書こう、書かなきゃ書かなきゃ……
そう思いながら、色々な事情で遅れました。
実は、9月のはじめ頃に、わが家で預かっていた卒業猫ほのが天国へ旅立ったのです。
私は吐くほど泣き、もう、再起不能になるんじゃないかってくらい落ち込みました。まーもを亡くし、出会ったばかりの子猫を亡くし、その上、お預かりしているほのまで。
耐えられなかったです。
その時の感情に身を委ね、皆さまに涙の報告をし、いっそブログをやめてしまおうかと考えました。悲しくて、力が出なくて、どうしようもなかったから。だけ ど、次々出会う保護猫たちのことや、応援してくださっている周りの方々にご迷惑をおかけしたまま、こういう形で消えるのは、なによりほのに失礼だと思いな おし、心の整理がつくまで、保護猫たちのことを中心にブログを続けさせていただきました。
もうひとつの理由は、ほのの訃報を私のブログで書くのは、遠くにいなければならなかったママさんのお心を必要以上に乱すのではないかという、私なりの配慮でした。ママさんは現在、東京のご自宅に戻られました。だから書くことにしたのです。
本当なら、ほのをお返しし、今頃また元の生活に戻っているはずでした。私もそれを目標に、ほののケアをがんばってきたつもりですので、お返しできなかったことが、とても残念です。
でも、さまざまな思いがうごめく中で、私の中で少し答えが見えてきた気がしています。
推定4歳という短い生涯だったけど、ほのは「幸せ」の一語に尽きた猫だった、と。
わが家でいつも通りの生活を送っていたほのですが、9月最初の日曜の午後、突然、ケッとドライフードを吐きました。今まで里親さんのお宅で、計3度、なんの前触れもなく倒れているほのですが、毎度、ほののそばには吐しゃ物があったそうです。
あらかじめ里親さんに話を聞いていたので、ただの嘔吐には思えませんでした。そこで、行きつけの病院に連絡し、急きょ、時間外診察を受けることに。車を飛 ばしたので、吐いてから、30分程度で診察を受けることができました。病院に運んだ時点での血液検査は、RCT、HCT共に減少傾向にあるものの、早く発 見できたので、極度の貧血状態ではありませんでした。
止血剤の投与、点滴などの処置はもちろんのこと、先生と相談し、エコー検査もお願いしました。エコー上、肝臓に病変がみられたため、ほのはそのままICUに入院。
その時のほのは、まだ普段通り。診察台の上で、私に甘える仕草を見せました。
だから私、4回目の今回もほのは復活できると思っていたのです。
「肝アミロイドーシス」
ほのの病気は、病名の特定が極めて困難とされる病気です。雑種の猫ではほとんど例がなく、アメリカの文献によると、アビシニアンやシャム猫などが患うこと があるそう。普通は一回目の発作であれよという間に亡くなってしまうため、飼い主さん側が解剖でも望まない限り、「猫突然死症候群」として片づけられた り、腎臓にアミロイド沈着がみられた場合は、「腎不全」と診断されることも多いそうです。実際にこの病気を患い突如肝臓や腎臓から血が漏れ、亡くなった猫 さんは居るはずですが、先述の通り、普通は病名を知る前に亡くなるので、なにもわからないまま、と言いますか……。
そして、謎に包まれているだけでなく、厄介なことに、進行性で、治療法がなく、いったん発症したら、なす術がないのです。ほのの場合は、ウルソ+ステロイ ドの投与が若干の功をみせてくれたおかげで、延命に繋がりました。わが家にいる間は、普通の猫とほぼ変わらない生活を送り、亡くなる前日まで、元気でいて くれたのが幸いです。
だけど、どんなに日々の生活に気をつけていても、やっぱり病魔に勝てませんでした。
ほのは入院の翌日の朝、容体が急変し(止血剤を投与しても、肝臓からの出血が止まらなかったのです)、入院先の病院で、危篤に陥りました。
先生からの連絡を受け、私は妹と一緒に病院へ向かいました。まさか、という気持ちでした。ほののパパさんも、会社を休んで病院へ来ました。最寄りの駅から、全力で走ってきたのでしょう。汗だくのスーツ姿で飛び込んできました。目にいっぱいの涙を浮かべながら。
「ほの! ほの!」
パパさんが泣きながら懸命に名を呼ぶと、止まりかけていたほのの心臓が、勢いよく動き始めたのです。私たちはもちろんのこと、大巻先生も、驚いた様子。心霊的なものとか、奇跡とか、軽々しく信じる気になれない私ですが、あの時ばかりは、確信したのです。
ほのは里親さんの呼びかけに、全身でこたえている、と。
ほのには輸血も行っていたため、予備の血液が必要とのアドバイスを受け、私はいったん帰り、あまたとまことを連れて、再度病院へ向かいました。うららさん も、供血してくれる猫さんを連れて、病院へ駆けつけてくれました。ほのを最初に保護したルルさんも、仕事の合間を縫い、ほのに会いに来てくれました。(結 局、輸血の追加はなかったので、あまたたちの血は抜いていません)
ほのはよくがんばりました。
みんなが祈りました。
先生もスタッフも、全力を尽くしました。
できることは、全部やったと思います。
だけど、旅立ってしまいました。
ほのの葬儀は、ほのパパさん、私、妹、ルルさんが行うことに。
ほのパパさんは、ほのを抱えて泣き崩れました。
チチ以外、私は泣き崩れる男性を知りませんでしたので、その姿を眺めるだけで胸が痛くてたまらなかったです。遠く離れていたママさんも、言葉を失うほど、悲しんでいました。
ご体調などの特別な事情があり、パパさんとママさんは3か月間離れて暮らすことになり、その後にほのの病名が判明したのです。パパさん、すでに遠方にい らっしゃったママさんと何度も相談した結果、お留守番の多いパパさんが単身でほのの面倒をみるよりは、なにかあったらすぐに病院へ駆け込めるわが家でお預 かりした方がいいのではという結論の元、ほのはご家族としばらく離れていました。けれど私は、ほのの里親さんは、本当に素晴らしい方たちだったと思いま す。ほのの家族は他の方たちではあり得なかったでしょう。
パパさんは誰に対しても礼儀正しく、責任感が強く、思慮深く、この上ないほど優しい男性です。ほのの病気を調べ、ほのが自宅に帰った後の生活を常にシミュ レーションし、それに向け動いていました。通院はもちろんのこと、わが家にもほのに会いに来てくれました。お仕事との両立は、大変だったはずです。ママさ んも、いつもほののことを考えていました。毎日のように私たちはメールを交わし、こちらが恐縮するほど、私を気づかってくれました。
通院時は必ずそばでほのを見守るパパさん。
私は、お二人に、感謝の言葉しかありません。
パパさんもママさんも、私に言ってくれました。
「ほのは最高の自慢の息子でした。短い間だったけど、ほのと暮らせて幸せでした」
大好きなママさんのおひざの上でくつろぐほの
ママさんから最近頂いたメールはこう締めくくられています。
「もっと一緒に過ごしたかったです。
でも、あまりに短い間でしたが、ほのちゃんの飼い主になれて
私は本当に幸せです。
田辺さん、本当に色々とありがとうございました。
ほのちゃんは星になってしまいましたが、田辺さんとのご縁は
これからも続いけていけると嬉しいです」
まだ若いほのが不治の病気を患い、旅立ったことは残念です。でも私は、ほのという猫を通じて、たくさん学びました。そして改めて、猫は愛おしい動物だと気づいたのです。
わが家ではほほがほのの面倒をみてくれました。ほののメンタル的な部分も全部、ほほが担当。自分のお子ながら、ほほはすごい猫です。ほほ、ありがとう。
我が家に来る前の入院時の動画と、我が家でのほの。チチが編集してくれました。
ほのを愛してくれた里親さん、私の留守時に毎度ほのの様子を見に来てくれた妹、ほのをはじめに公園から保護したルルさん、応援、協力してくださった皆さまに感謝と尊敬の真心を込めて。ありがとうございました。
次回からはまた、保護猫たちのことを中心に更新します。
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