皆さまこんばんは。おかげさまでさぶの体調は、低空飛行ながらも安定しています。
保護猫たちも元気です。まずは、写真が少ない「きなこ」をどうぞ♡
警戒しているけれど、フォルムがたぬきさんみたいでかわいいですよね。
ちゃみは、発作を起こさずに維持できています。
もうすぐ不妊手術だけど、ちゃみの場合は、さすがにドキドキしますね。
ちゃみ、がんばるんだよ!
さて、ここからは、犬猫に関係のない話題ですので、興味のない方はここまでで失礼します。
今、私の出身の台湾では、旧正月のお祝いの真っ最中ですが、私は、日本のお正月も、台湾のお正月も、仕事仕事仕事でございます(笑)。毎年、それが少しだけ悲しいかも(笑)。
家族が集まる機会だから、本当は家族といっしょに過ごしたいですよね。
ペットシッターの仕事をしてから、母にネチネチ責められるようになりました^^;
母もさびしいのでしょうね。
私は約9歳まで台湾にいたのですが、少女時代の私の生き甲斐は、母と、父と、おじ(母の弟)でした。おばたち、天国に眠るおじ(母の兄)、祖母も、私は好きでたまらないのです。
私という人間の、ほとんどを形成してくれた方たち。歳をとった現在も、感謝の気持ちでいっぱいです。実の父は、生死も居所も不明で、母の兄妹たちも、台湾やアメリカにいて、ふだんは会う機会がありません。私にとって、特別な方々なのに、不義理をしっぱなしで恥ずかしいです。
昨年12月は、ロサンゼルス在住のおじ(母の弟)が、私たちに会いに日本に来てくれました。
「私の生き甲斐」だったおじです。
おじは、高校生、大学生の頃、幼かった私の面倒を見ながら、学業に励んだ方なのです。
おじは、若くして台湾を出て、単身でアメリカに渡りました。コネクションがなく、家族の反対もあり、裕福ではなかったおじにとって、簡単なことではありませんでした。
しかし、おじは、どんなときも歯を食いしばり、アメリカで家族を築き、アメリカの銀行に40年務めあげて、ついに、自由気ままな定年退職を迎えたのです。すごいですよね。
おじと、おじのお孫ちゃん
おじの存在も、その成功も、私の誇りです。
断片的ではありますが、苦労していた若かりし日のおじを、私はよくおぼえているのです。
なのに、おじが日本に遊びにきた2週間も、私は、仕事仕事仕事でございました。
そして、保護猫ぱっくんの真菌の治療の真っ最中で、常に消毒と洗濯をしていた時期です。
それでも、空港におじを迎えに行けたこと、その日のディナーを共にできたこと、目黒雅叙園の和食のレストランに招待できたこと、街をブラブラして、ちょっと早いクリスマス気分を味わえたこと、家族揃って銀座でランチできたことがうれしいです。本当は、毎日会いたかったし、私の知る東京を隅々まで案内したかったけれど、社会人だから、なかなかむずかしいですよね。
私が招待した雅叙園の和食に大興奮のおじ
何枚か記念写真を撮りました。
ファッションセンスが、上品で素敵なおじです。
好きなものを大切に長く使うのがポリシーだそうで、日本でよく着ていたブルネロ・クチネリ(!)のくすんだパープルっぽい色のカシミアのジャケットが、超絶に似合っていてかっこよかったです。
私はブルネロ・クチネリの服を着る男性をはじめて間近に見ました。記念にタグをパチッと!
私が非常に忙しい時期だったので、チチがおじを山に連れて行ってくれました。
ふだんは、無関心で不愛想なチチですが、やさしい一面を見れた気がします。ありがとう!
おじも、男性同士の日帰り旅を、喜んでいたと思います。
帝国ホテルのロビーにて(母、妹も添えて)
まだ2か月前なのに、メイクして出かけたのが遠い昔のように感じます。
皆さま、私のおじ自慢におつき合いくださり、ありがとうございました。
おじとは6年ぶりの再会だったし、ずっとどこにも出かけていないので、キラキラの思い出写真をUPしてみました。いつか私も、おじを訪ねてロサンジェルスに絶対に行きます。
皆さまと皆さまの愛する方々が、笑顔を絶やしませんように。
LOVE
ペットシッター「にくきゅうのおせわ屋」をはじめました
お留守番をがんばるかわいい家族が「お帰り!」と目を輝かせて出迎えてくれるよう、安心・安全に最優先で心を込めてお世話します。
足立区・荒川区・文京区を中心に活動してますが地域のご相談やお世話内容など、
⇒足立区のペットシッター にくきゅうのおせわ屋をご覧ください!