悲しめる場所

昨日は若かりし日の高菜の写真を見てくださりありがとうございました。

 

 

私ね、ペットロスを思い存分に吐き出せる場所がほしいです。

 

 

ペットロスって、英語にすると軽い感じですがそうじゃないよね。

 

 

胸が引き裂かれます。簡単に「看取り」という言葉を発することすらできないほど、私は家族の死が恐怖です。拷問に等しいほどの。

 

 

家族を失うたびに、周りに心配されます。私のように細々と譲渡活動をしていると、里親さんが私に気を遣うのです。「アンニイさんが辛そうで……」と。

 

 

先日巣立ったまうの里親さんにもアスター(白まんじゅう)の里親さんにも心配をかけています。これからお届けするミケ玉の里親さんにも。明るい話をしたいのに巻き込んで申し訳ない。仕事先でも「大丈夫ですか?」と聞かれます。大丈夫じゃないけれど、「はい」と答えるほかありません。

 

 

いつまで悲しんでいていいのかわかりません。

 

 

いつまでメソメソしていていいのですか?

 

 

三日? 一週間? 一か月? 半年?

 

 

長いとくどいと思う方もいるでしょう。悲劇のヒロインを演じている、と。

 

 

多頭の私はほとんど迷惑者の域ですよね。本当に自覚しています。

 

 

ごめんなさい。

 

 

自分にも辟易。1日のうちに気分がコロコロ変わる。

 

 

ふつうに笑える時間もあれば、無気力で動けないこともある。

 

 

良くなったかと思えばまた気落ちする。その繰り返しの中で自分のメンタルも周りの気分もめちゃくちゃにしてしまうことを私は恐れています。

 

 

だから無期限で思いっきり吐き出せる場所がほしいのです。

 

 

死に別れて何がどれだけ辛いのか、生きているうちにどういうケアをしてきたか、獣医師に言われた印象的な言葉またはショックな言葉、武勇伝、病院の選び方、他愛もない思い出話、苦労話。今いる老齢の子たちを失うことへの恐れ、心配事、看取り方、見送り方、死生観、いろいろ……。

 

 

感情を表に出したい。思いっきり。

 

 

その行為は決して後ろ向きではありません。

 

 

むしろ心の中をとことん整理しないと前へ進めない気がするのです。

 

 

生産性を取り戻すにはどん底まで堕ちる必要のあるタイプの人間もいます。

 

 

理性も重要だけど、家族の死を理性だけで乗り越えるのはむずかしい。

 

 

高菜の写真を延々と眺めながら、考えていました。

 

 

悲しめる場所を作りたいと。

 

 

私はべべ、ナナ、ほほを近年見送りました。

 

 

正直、自分の粘着質な愛情と未練に疲れ果ててしまったのです。

 

 

人間の子供がいない私にはべべ、ナナ、ほほが子供そのものでした。犬猫に人権がないのは承知の上ですが、私は自分の家族に時間もお金も愛情もかけてきたと自負しています。人間のお子さんがいるお母さんに負けないくらい私はべべ、ナナ、ほほに手をかけました。それでも生き物としての寿命の差で彼らはあっという間に年を取り、私を追い越し、しまいにはいなくなってしまうのです。

 

 

十数年も一緒に暮らしてきたのに、結局いなくなるのです。

 

 

私が仔犬のべべと暮らしはじめた時期に妊娠した友人は現在大学生を育てています。

 

 

自分が選んだ道ですし、人間の子供と犬はちがう生き物だと知りつつも、べべを見送ったあと、私は湧き起こるむなしさを抑えることができませんでした。

 

 

もちろん、自分の選択を後悔したわけではありません。もっと単純です。ただ無性にべべに会いたくなったのです。(会えなくて困ったけれど……)

 

 

責任をもって看取る、というのも犬猫の愛育の一環でしょう。私たちは「看取り」を折り込んで犬猫と暮らさなければなりません。それが正しい考え方です。しかし時間もお金も愛情もかけてきたのです。そればかりか、人生をかけてきました。だから簡単にはいきません。

 

 

簡単にはいかないから悶えるのです。

 

 

やわらかい肉球もふわふわの尻尾もクリクリの目も失って、リビングには名前が書かれた骨壺だけが物理的に残る。みんなそうだよそんなもんだよと言わないでください。わかっています。わかっているんだけど、喪失感に打ちのめされているのです。

 

 

先日私はパソコンが壊れ、べべたちの写真すらなくなってしまうのではないかと慄きました。一応別のHDに保存していましたが、そのHDすら信用できませんでした。

 

 

一瞬、自分の人生が消えかけたような錯覚にさえ陥りました。

 

 

本来、思い出は胸に凛としまうべきものかもしれない。

 

 

そしてときどき、ふと取り出し、思い出話にしっとりと花を咲かせるのが飼い主としての理想的な姿でしょう。けれどそうなれるまでに時間がかかる人がいてもおかしくないと私は思います。

 

 

価値観はみんなちがうのだから。

 

 

どうやればいいのか思案中ですが、思いっきり悲しめる場所を作りたいです。

 

 

誰の目も気にせず、いつまでもグズグズしていられるような場所を。

 

 

そして立ち直ったときにスッと離れられる場所を。

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若い頃のぼくも見て(高菜)

※ブログを連続更新中。遡ってお読みください。

 

 

さっき書いたブログを一部直しました。

 

 

それでも気が収まらない。つたない文章だけで若かりし日の高菜を紹介しきれません。つい先日まで「生きている」だったのに、「生きていた」の過去形になってしまったのが苦しいです。

 

 

明日空に返す前にここに高菜の昔の写真を並べておきたくなりました。

 

 

土手犬時代(環境がだいぶ改善された頃)

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「タロウ!」と呼びかけるとにっこりしてくれたよね。

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控えめだけどあたたかい笑顔でした。

 

 

改善されたとはいえ、決していい環境ではありませんでした。川のそばなのでジメジメと湿っており、周りは廃棄物やゴミだらけ。衛生的にも問題があったのです。

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本当によくがんばった。

 

 

703号室保護犬時代(四歳半)

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十二年前なのに昨日のことのようです。

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姉妹のリルと

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ベッドの上には叔母のナナ、姉妹のリル、下にいる男子は肩身が狭いね……

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だれも教えていないのにトイレ完ぺきだったのですよ。土手犬出身ですよ?

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いっとき、お世話になったemi-goんちにて

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高菜の顔を押さえているのは私の手で、後ろの足はemi-goです。

タロウ掲載

 

 

左がナナ、右はヘラヘラ顔の高菜

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ねむい? 基本的にはやさしいけれどたまにウッと噛まれることもあったっけ……

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あまぱんと

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私の太陽べべ公とも仲よし

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左:叔母のナナ、中央:父犬(または叔父犬)のコロンJ、右:高菜

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わらわら(床にいるのが高菜)

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チチに撫でられているナナをご機嫌に眺める高菜

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「えへ」と舌を出す顔がたまらなくかわいい♡

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変な座り方をするのは昔からの習慣のようです。

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カメラに入っていた最近の高菜。十二年前の保護犬時代とはまたちがう愛嬌がありますね。

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土手犬たちは私の活動の象徴的な存在なので、思い入れは格別です。

 

 

写真を並べたら高菜に会いたくなりました。寝室にいるので顔を見てきます。

 

 

おやすみなさい。

 

 

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高菜

突如として悲しいご報告をしなければなりません。

 

 

我が家の高菜が急変し、夜中緊急病院へ搬送しましたが、明け方息を引き取ったのです。

 

 

自力ではどうにもならないジェットコースターのような人生が恨めしい。高菜が恋しいです。

 

 

きれいごとばかりでは済まない老犬介護。

 

 

しかし私は17歳、18歳、19歳……と高菜と一緒にいることを望んでいました。いや、そのつもりでした。私が「いい人」だからではなく、高菜はそう思わせてくれる犬だからです。

 

 

いろいろな事情で高菜はチチの仕事部屋と703号室を行き来していましたが、高菜を通じてチチと私はお互いの立場を最低限思いやることができた気がします。

 

 

高菜はいい意味で私たちの絆を再認識させてくれる尊い存在でした。

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犬が好きな方は、どんな犬でも犬は無条件にかわいいでしょう。老犬も然り。

 

 

けれど敢えて、高菜がどれだけいい犬だったか、少し回想させてください。

 

 

名前が3回変わった高菜の最後の名は、高菜の母犬タカコの「タカ」と高菜の叔母犬「ナナ」から取って合わせたものです。私はとても気に入っています。

 

 

高菜は16歳と4か月で亡くなったので、時系列がおかしいとお感じになるでしょうけれど、私と高菜が出会ったのは、約18年前です。

 

 

私は高菜の「親の代の犬たち」を土手で見つけ、彼らの医療ケアや保護をはじめたのです。当時から個人だった非力な私のせいで多くの土手犬たちが非業の死を遂げました。若い犬たちの餓死、焼死も目の当たりにしてきました。

 

 

ちなみに、天国にいる私の愛娘ナナは高菜の叔母にあたります。

 

 

土手犬たちの不妊手術が間に合わず(面倒を見ていたホームレスを説得できず)にナナの姉妹のタカコから生まれてきたのが高菜とリル。

 

 

(高菜はもとは四兄弟。リルを除いてほかの二頭はとっくに他界しています)

 

 

動物が生を受けるのは本来喜ばしいはずなのに、母犬タカコの不妊手術が間に合わずに生まれた高菜たち四頭を前に、幸せにする術のない私は困惑、狼狽。

 

 

私は高菜の生誕を祝える立場になく、祝える余裕すらなかったです。

 

 

犬猫の保護活動は「数のコントロール」とは切っても切り離せないですものね。

 

 

乳飲み子の高菜たちと母犬タカコやナナたち。

 

 

数十にのぼる大勢の土手犬をどうするか、悶々の日々を送っていた二十代後半。

 

 

そんな私をよそに、高菜は荒地でたくましく育っていきました。

 

 

一歳八か月となった叔母のナナを私が引き取り、二歳未満で二頭の叔父犬と母犬タカコが土手で朽ち果てたあとも、高菜は「タロウ」として、土手にいました。

 

 

よく吠えるから番犬になるという理由でホームレスたちの間で高菜を奪い合っては、手に余るという理由で手放される。人間の都合で、何度も何度もテント(飼い主)が変わる。高菜は土手の中で流転をつづけました。

 

 

保護を訴えるも(ホームレスたちに)聞き入れてもらえず、困っている高菜を前に右往左往。私にできたのはフィラリアの予防薬とフードを届けることくらいだったのです。

 

 

姉妹のリルを保護できたのはリルが三歳五か月のとき。リルを離さなかったホームレスの男性が病に倒れ、施設へ入ったのがきっかけでした。

 

 

高菜が土手を出たのは四歳すぎ。正直にお話しすると、ほとんど強引な手段で保護したのです。逆にいえば、見ているのが限界のレベルだったということです。

 

 

あまり使いたくない言葉ですが、高菜が「かわいそう」だったのです。

 

 

我慢ばかりじゃ、高菜がかわいそう。

 

 

コロコロコロコロ住処がかわって安住の地を得られずに無言で喘ぐ。

 

 

痛い暑い汚い寒い動けないばかりじゃ高菜がかわいそう。

 

 

土手を隔てた川のこちら側には「幸せの703号室」がある。叔母のナナも姉妹のリルもいる。近所には大事大事と愛されている室内犬がいくらでもいる。物理的にはたった数百メートルの差なのに、実際は天と地の差です。

 

 

私は高菜にこちらの世界に来てほしかった。だからスカウトを強行したのです。

 

 

四歳の高菜は保護犬として703号室で過ごし、縁を得て我が家を巣立ちました。

 

 

外で長年生きてきた屈強なオス犬が「家庭犬」になれるのかと周りに心配されたのをよく覚えています。でもなれた。ほとんどすぐになれた。聡明で立派な犬ですよ。

 

 

以後十年、高菜は高菜ファーストのお家で大切にされてきました。 チチと私が高菜を迎えに行った日、お家の中が老犬仕様で高菜グッズが溢れかえっていたのを目にしたのです。一生けん命ケアをしてくださっていたのですよね。

 

 

できれば最後の瞬間まで高菜と暮らしてほしかったのですが、高菜の老いや変化に里親さんの心や生活が追いつかなかったのだろうと私は想像しています。

 

 

そして十年間高菜を育ててくださったことを素直に感謝しています。

 

 

十五歳で実家へ戻ってきた高菜

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ルーツも含め、高菜の一生を、私は忘れられないでしょう。

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胸にどんと迫ってくる高菜の重厚感に万感の思いです。

 

 

いっぱい残ってしまいました。どうしようね?

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もう少し時間がほしかった。高菜といる時間がほしかった。

 

 

うまくまとめられませんが、これが私の本音です。

 

 

かおりさん、卒業生りんちゃんのママさん、きれいなお花をありがとうございました。

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高菜は明日空に帰ります。

 

 

息が苦しいほどにめちゃくちゃに好きです。私はホゲホゲした一頭の老犬を看取るために引き取ったのではなく、その老犬が老犬に至るまでのすべてを知っています。

 

 

乳飲み子の高菜も、仔犬の高菜も、やっとの思いでオトナになれた高菜も、全部。

 

 

そのことを外に出したくてつらつらと失礼しました。

 

 

高菜ありがとう。高菜が生まれてきてくれてよかった。

 

 

高菜高菜高菜高菜高菜高菜高菜高菜高菜高菜高菜高菜!! 高菜!! 高菜!!

 

高菜!!!!!!!!!!!!! 高菜!!!!!! 高菜高菜!!

 

 

高菜!! 高菜!! 高菜高菜高菜高菜………………

 

 

 

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