朝から夕方にかけテンションの低い百香とあさひは夜、本領を発揮します。
はあ。嫌味なくらい大粒の瞳。ちんまりした顔からこぼれ落ちそうです。
「じっと見ないでよ」
百香毛が少しきれいになったね。艶を放っていて健康的。
たとえ世界がひっくり返っても、人知の及ばないなにかが起きたとしても、いつもいかなるときも、私は縁を持った保護犬猫たちの味方でいたいです。
常に最善の行動をしたい。
他者の理解を得られないとしても、だれかを敵に回すことになったとしても、私は絶対に折れずに曲げずに自分の心に従います。
彼らを無事保護したとき、私は自然と歓迎の言葉が溢れ出ます。
「いらっしゃい。よく来たね。ありがとう」
命は重い。私は吐き気を催すほどその重みを知っています。
私は「小さな命」とは表現しません。体は小さいけれど、命は小さくない。
命の重厚感に押しつぶされないようふんばるのが必死なぐらい。
素敵な出会いが多いと皆さまに信じていただいている703号室の礎には、私自身の頑固さがあるのかもしれません。活動に必要と判断すれば私は裁判で戦いますし、その際のお金やエネルギーは惜しみません。ひるみません。負けません。
実は過去に2度、頭と神経を使いまくって譲渡先から卒業生を奪還したことがあります。2つの家庭で、計6頭。表に出せずに日々悶々と悩んでばかりでした。
つい数年前のできごとです。
一例目は家族のひとりが暴力的な精神疾患を患い、私の譲渡した子たちを虐待。殴ったり家に火をつけるなど命を脅かす発言をするようになってしまった家庭。
二例目は(譲渡時より数年で)家族構成や経済状況が著しく変化。私の譲渡した子たちを正しく飼育できないにも関わらず、数年間冷暖房すらない粗末な掘っ建て小屋に放置しながらも所有権を主張。私へ返すのを頑なに拒みつづけた家庭。
一例目も二例目もほんとうにむずかしく、特に二例目は掘っ建て小屋の場所の特定ができなかったため、盗むこともできず、私の精神は破綻寸前でした。
事件扱いにされ警察に捕まるなら、喜んで参ります。
犯罪行為だとしても関係ありません。モラル違反の罰は受ける覚悟でした。
皆さまは知らなかったでしょう。ブログに書かなかったから。
まあ正確には書きたくても書けなかったんですよね。だれが読むのかわからないので。一例目は弁護士と警察を入れて戦い、二例目は元里親の味方のふりをして数年かけて説得を繰り返し、最後の最後で強気に出て元里親を脅迫しました。
客観的に見て、あまりにも酷いと判断した元里親に私が義理立てをする意味はありません。私の卒業生に残酷な仕打ちをする人間は私にとってもはやたいせつな里親さんではありません。合理的なのは当然だと思います。
非道で暴力的な元里親から犬猫たちを守るのは、私しかいません。
読んでる方にはドン引きされるかな?
しかしそうするには多大な労力やお金がかかっていることをつけ加えなければなりません。つまり私自身もできればしたくなかったのです。
私以外の保護主さんならどうするか、投げ出しちゃうかな? 辛くて仕方ない時期、想像で別の方と自分を比較し、諦めようとしたこともあります。
「あげちゃったんだから今さら……」
そう結論づけることで楽になりたかった。
けれど諦めようとすればするほど余計めちゃくちゃに苦しくなり、卒業生を裏切るのと同時に、自分自身の志をも裏切る気がして、到底無理でした。
私は自分を軽蔑してしまうようなトラウマはひとつもほしくないです。
もともと私は人の力になりたくて譲渡活動をはじめたのではなく、最初から不遇な犬猫だけに着目し、その問題を解決することに血を注いできた人間です。
むろんその延長で出会った善き方々と私は永遠に結ばれていたいです。
たぶん私、「譲渡」については完璧を追求し、本気かつ真剣です。
私の肩に命が乗っかっているから。
私がうずくまるとき、私の傷口を丹念に舐めてくれるのは、例外なく毎度犬と猫でした。彼らなくしては自分の存在意義が成り立たないんですよね。
「頼りになるんだかならないんだか」 「ほんとね」
だいじょうぶ。任せておきなさい。
回想のままにツラツラと失礼しました。
苦悶の中で感じる幸福は、格別の味ですよ。
PS 大騒ぎの末出戻った6頭(犬2頭猫4匹)は全員生きていて、再譲渡を通じ終の棲家で悠々自適に暮らしています。どの子のことかわかった方もいたりして?
LOVE&SMILE!
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